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生田斗真似のイケニャン。足が長い西洋人体系。スーパーねこ友大好きな甘えたクン。
漆黒の毛色、大きすぎる瞳、小柄で敏捷。夜中に暗躍するミステリアス女子。
氣は優しくて力持ち。仲間の面倒見がよい平和主義者、みんなのお母さん的存在。
1995~2002年までに8回のシッティングに行くが、1度も姿を見せなかった幻の猫ロッキー。
ご家族の急逝により、遺言で猫の森に入居、「星男」と改名。
新しい環境、他猫にも物怖じなく堂々としていたのは、さすが年の功。2年前の皮膚アレルギーで脱毛したままだったお腹が、入居後みるみる毛が生え、みんなを驚かせる。
猫生初か?やんちゃぶりを発揮し、年若のちぃちぃを追いかけ、時に猫車輪となってのバトルも展開する。
ミンが旅立った7月2日、都内でA氏(50代男性)が自宅でお亡くなりになり、猫が1匹残された。
虹の橋のたもとに向かう道すがら、ミンがAさんに猫の森を教えたに違いない! 夏子はミンからの贈り物なのだ。
だから、可愛いのは当たり前。ちょっとがに股歩き(別名クリスチーナ・ガーニー)も、掠れ気味の鳴き声も、軽くてやわらかな肢体もすべてがオンナノコ。
「80歳になったのを機に猫を預けます」
シニアハウスにお住まいのKさんからお預かりした箱入り息子のキジ白さん。
最初は誰に対しても「シャーフー」「カァーカァー」していたが、いつの間にやら可愛い福ちゃんに大変身。ヒコヒコうごくウサギしっぽと、左半身の柄が特徴的。
得意技:アキレス腱伸ばし、高速テチテチ歩き。
いっしょに暮らしていたおばぁちゃんが療養に専念するため、猫の森にやってきた茶シロ君。
入居半年間は押し入れ生活。ひょんなことから「腰パン」に目覚め、それ以来来客に「腰パン、プリーズ!」をおねだりするように。
桜舎ワークショップでは膝乗りちぃちぃとして有名。ボキャブラリー豊富、ミチミチボディが自慢。
異名:月ちゃん
※月子のお話は『猫の森の物語』収録
ご家族急逝により猫の森にやってきた灰色長毛猫さん。
真夜中、月ちゃんとふたりだけで過ごした時間は、お月様の光のような柔らかな思い出。
馬尾症候群、ぜんそく、熱中症、毛球、いろんなことを経験させてもらった猫師匠。月ちゃんの瞳、忘れない!
尿路変更でお腹の穴からおしっこをする黒猫くまたんは、体は大きいけどいつも遠慮がち。
小さい頃、図体だけデカくて引っ込み思案だった私は父から「くま」と呼ばれていた。その頃の自分を思い出すので玖磨。
時折「アン、アン」と甲高い声で鳴く。うどん、そば、小豆などのスイーツ系が好物。ちぃちぃといっしょに腰パンブラザーズを結成している。
猫エイズキャリアだったため猫の手会員のもとで約5年。その後桜舎で1年ちょっと暮らしたりゅうりゅう。
「めしくでぇー」と大きな声で鳴き、マイおこたで寝るのと、脇の下に顔を埋めるのが好き。老け顔ながら、熱烈ファンも獲得し、味のあるキャラとして皆から愛された。
また、寝ている間に亡くなるという、ある意味理想の旅立ちを見せてくれた達猫。
レオ改めコタ(小太郎)
異名:コタまぐろ、ちょろべろオヤジ、波平会長
食いしん坊のコタは、いつもお皿ピカピカサービス係として大活躍。
南里はコタのおかげで、猫の手作りごはんに開眼できた。
ベンガルとは思えぬ庶民派で、ワークショップ助手とホスト役をこなし、コタ人気は不動。
取材協力も数しれず。動かないので撮影しやすいとカメラマンに愛される。
ちゃんたろうとは何度か流血戦を繰り広げ、売られたケンカは買ったるぞの意気込みを見せた。
「コタの幼稚園」は、朝病院のお預けで、夕方お迎えに行く通院スタイル、ようがんばったね、コタちん。
お空のコタちん、これからも猫の森のスタッフとして、どうぞよろしく!
ご家族の海外転勤中、お預かりしたマニラ生まれの超箱入り猫さん。
他猫を見ると襲わずにいられないというけんかっ早いオトコで、途中から部屋を隔離した。人には極めて愛想がよく「天使のちゃんちゃん」。
入居時、機能不全だった片方の腎臓が1年後正常になっていたという奇跡を起こす。
異名の多いオトコ:ラオスのチンピラ、チビタ、マムシのちゃん
ブログ ちゃんたろうグラフィティー
マユミさんの忘れ形見、黒猫ビビ(雄・10歳)と白猫チョビ(雌・2歳)ちゃん。
猫の森では「おいちゃん」の名前で可愛がられたビビ君は、常に女王チョビちゃんに先立って、道を開く役目らしい。
猫の森事務所に来たのも、佐野のおうちに行くのもおいちゃんが一足先。
「幻の猫」だった頃のチョビちゃんは、身体中に毛玉ボンバーをくっつけていたが、猫の森でコーミングの快感を覚え、すっかりゴージャスなお姫様になって、おいちゃんを従えてのお嫁入り。
その経過を見られたのは、つくづく役得である。
ありがと、マユミさん、おいちゃん、チョビちゃん。
ふたりを引き受けてくださった「ねことも」ママ・マッチャーさんに感謝です。
※キャットシッターねことも
ブログで振り返る おいちゃん&チョビ グラフィティ
どっしりしたモー母さんと、よく鳴くヒエイ(飛影)、フォトジェニックなクラマ(蔵馬)の3匹は 2007年Kさんの海外出張の間、猫の森事務所に滞在した。
短期間にこのトリオは、雑誌取材に協力し、また事務所を訪れる人たちのアイドルに。 Kさんは帰国後会社を辞め、念願のマクロビケーキの店をオープン。猫たちの生き方に触発されたひとりである。
Iさんは4歳のお嬢さんが猫アレルギーで喘息になったため、3匹の猫の里親探しのため、猫の森にやってきた。
体重6キロのタビ(6歳・雄)は無邪気で天真爛漫、すぐに桜舎の先住猫たちとの暮らしに溶け込んだ。
その5日後、スタッフのペががタビを「ヒデヨシ」と改名して、家族に迎えることに。実はその数日前、ぺがの愛猫ラテヲがお空に旅立ったのだった。
生前のラテヲの癖が、そのままヒデヨシの癖でもあったのは不思議な偶然? いやこれは猫の森的必然だったのだろう。
猫の森では、体重13キロのこな(9歳・雄)、この巨猫を清水次郎長一家の子分「大政」の名で呼ぶことにした。
ブログで連日里親探しをすると、ほどなく香川でレストランを経営するシェフのY氏(34歳・男性)から大政にプロポーズがあり、羽田空港から香川に向けて大政は出発したのである。
Y氏は大政を猫師匠と仰ぎ、かつ男同士のいい関係は、大政が生を全うするまで続いたのである。
ユロは精悍な顔立ちから「佐助」と命名したが、入居直後に長期お預かりのちゃんたろうのいじめの対象になってしまう。やむなく佐助を事務所に移動させ一段落。
その佐助は数日後、キャットシッター養成講座卒業生岩澤さんのハートを一発で居抜く早業を見せた。
岩澤宅では「クロちゃん」と改名し、先住猫お転婆モコちゃんの攻撃にもめげず、ノホホーーンと暮らしている。
ここでもまた、明るく、自らの道を切り開いていった3匹に拍手を贈ろう。
最新の様子は「キャットシッターねことも」さんのブログ「ねこともダイアリー」でどうぞ
2008年、サビ猫みつ(9歳・雌)は半年間ハワイに滞在することになったO夫妻からの預かった猫。
玄関におしっこをして抗議したり、プチ脱走を試みたり、いろんなことを仕掛けてきた女帝みつ。 存在感のあるユニークな猫で、O夫妻の帰国後、お子さんが誕生すると、素晴らしいベビーシッターになったらしい。
2008年に入居した小チビ(推定 2 歳・雌)は私に慣れるまでは 1 ヶ月を要したが、先住猫たちとは上手にルームシェアしていた。
慣れてくると壁で盛大に爪研ぎをするので、いろいろな素材を試した結果、杉の無垢板が好みと判明する。
1年前女子猫を亡くしたM 氏に小チビの話をすると、さっそくお見合いに来舎。小チビがすかさず速攻でお嫁入りを決めたのはさすがである。
チンチラゴールデンのあまなつ(13歳・雄)は、チャーとキツネの出発日午前中に入居。40 代のIさんから、放射線治療の入院中、預かることに。
長毛種のあまなつ君、私がパソコン作業をしていると、キーボードとディスプレイの間に陣取るのが常で、困ったことを一切しない気だてのいい猫だった。
2007年暮れ、チャー(推定 8 歳・雄)とキツネ(推定 7 歳・雄)が里親募集型で猫の森事務所に入居。
キツネにノミの卵が見つかって、大慌てでノミ駆除をしたり、去勢済みだと思っていたチャーが実はまだだったり、毎日退屈しない2匹なのであった。彼らのあだ名は「俺たちーズ」。
なかなか貰い手が現れず、預け主のFさんが焦り始めたころ、キャットシッター養成講座を受講していたHさんの実家(岩手県)でこの2匹を引き受けてくれることになった。
病気で弱気になっていたHさんのお母さんはどれほど「俺たちーズ」に元気と勇気をもらったことか。彼らは岩手の地で、みなから愛され、生を全うした。2匹は2日のうちに相次いで亡くなったそうである。
2007年、数ヶ月預けられていた動物病院から来たにも関わらず、ちび(16歳・雌)は「貧血、脱水、尿毒症、歯周病、肝臓・腎臓機能低下」という状態だった。 緊急の抜歯手術をなんとか乗り切って、白猫まゆとの共同生活に。 やがて、まゆが18歳のお嫁入りを果たすと、ちびは猫の森の女王として君臨するようになる。
翌年節分開けから食欲不振になったちび、体重2キロを切っても、その瞳はキラキラと輝いていた。 高田雄太氏に依頼した桜の花をバックにした凛として立つちびの絵が出来たのはその2週間後だ。
2002年11月1日から3ヵ月間、語学留学するGさんの猫大輔君(ダイちゃん)が猫の森多摩に入居。 入居翌日、ベッドの下に潜り込んでしまったダイちゃんに気づかず、脱走と勘違いしての大騒動も経験した。
1ヵ月間部屋の隅に固まっていた彼も、2ヵ月目には猫ばぁ(南里の母・当時83歳)といっしょに夜寝るほど親しくなる。 そして、Gさんにダイちゃんをお返しの時には思わず涙を流す猫ばぁであった。
2003年春、Oさんが連れて来た猫は茶トラのチャー。 前年の夏、大けがをしていた彼を保護したものの、連日先住猫との流血バトルを引き起こすので難渋していたとのこと。 猫の森に滞在しながら、新しい家を探す目的で入居。 人には無類の愛想の良さをふりまくチャーは、すぐに猫の森の広報部長として活躍。1年後、里親探しを諦め、猫の森の猫となる。
その後、白猫チロとのルームシェア時代は平穏に過ぎるが、チロ亡き後にやってきたモン、トン姉妹2匹にチャーは完全に気圧され、トイレ以外でのそそうが始まった。
やがて3.11の震災。 多摩組の猫ばぁ、チャー、モン、トンは千駄ヶ谷「桜舎」に移る。 ここでチャーは雄猫4匹(ズズ、ミン、コタ、玖磨)との共同生活により、そそうが激化。 元保護者のOさんに相談すると、いいタイミングで引き取り手が出現したのには大いに救われた。
彼は現在たった1匹で大事にされ、そそうもせず元気に暮らしている。つくづく、猫は自分で道を切り開くものだと感心する。
2011年5月チャー君はOさんの元へ戻りました。
2011. 5.09 ミョウコウさん、猫楠舎へ
2011. 5.17 自分の道を切り開く
チロ(雌・推定13歳)は2003年7月24日多磨に入居。
チロと暮らしたお母さんは生前、海外旅行の際毎回遺言を書いていたとのことで、娘のMさんはその意志を継いで、彼女を猫の森に託した次第。
来た当初のチロは痩せていて、慢性鼻炎の持病もあった。 その半年後発情したため思い切って不妊手術すると、その後はみるみるふっくらして、猫ばぁにもよく甘える猫になり、みなからも驚かれたり、喜ばれたり。
2004年10月23日新潟中越地震が起こった日の朝、チロはいったん仮死状態から生き返るという奇跡を見せてくれ、その夜猫ばぁに抱かれて静かに旅立つ。 チロの旅立ち直後にMさんの妊娠が分かり、循環する命を感じたものだった。
家庭内暴力のため、まだ小さい息子さん二人を連れてシェルターに入らなければならなくなったYさんが、生後6ヵ月のラグドール兄弟、アデコとリッチャンを世田谷にあった自宅兼事務所に連れて来た。
先住の16歳のきょうだい猫のドド(雄)とモモ(メス)とズズ(14歳・雄)3匹は彼らを寛容に受け入れた。 そして、この若い2匹はドドが慢性腎不全で死に至る過程を見る。私はドドを失った哀しみをどれほど彼らによって救われたことだろう。
数ヶ月後Yさんが息子二人を連れて、猫たちを迎えに来た時、長男君が黙って猫たちを抱きしめている姿に胸をつかれた。猫はこうして、人を支えてくれているのだ。
ベランダに飛んで来た鳩を見て興奮したトト(3歳・雄)、後ろから抱きかかえようとしたHさんのお母さんに噛みついて大けがを負わせてしまったとのこと。トトに驚異を感じたお母さんは動物病院に相談。なんと、その動物病院は安楽死を勧めたという。Hさんは
雄のトト君3歳は、前の晩Hさんのお母様に病院に行くほどの怪我をさせてしまったとのこと。
ベランダに飛んで来た鳩を見て興奮していたトト君は、不意に後ろから抱きかかえられ、咄嗟に噛み付いたようです。
お母さんはそんなトトが急に恐ろしい存在に感じ、動物病院に相談したところ、安楽死を勧められたとか。
「私が会社に行ってる間に安楽死させられては大変」
と猫の森にトトを連れてきたのである。
Hさんはトトを連れて一人暮らしをする覚悟をかためつつ、面会に来ていた。しばらくすると、お母さんも落ち着きを取り戻し、安楽死は回避することができた。
この時期、不思議と駆け込み寺的な出来事が重なり、どうやら世の中の流れには波があることを肌で感じた。
2004年12月、ガンで余命1ヵ月と宣告されたKさんからネネ(16歳・雌)とミン(10歳・雄)を引き受ける。2匹のためにとKさんが用意した段ボールは60箱以上。
「2匹は仲が悪いので、別々の部屋にしてほしい」
とのことだったが、Kさんと別れ、環境も変わった2匹、試しに1晩だけ同じ部屋にしてみる。翌日2匹はコタツの中で身体を寄り添わせていた。
翌年夏、自宅の引っ越しに伴い、ネネとミンは我が家の猫たちモモとズズ2匹と合流。
堂々とDVD『キャットシッターなんりの猫暮らしマニュアル』に登場してくれたネネはその秋老衰で虹の橋のたもとに出発。
ネネの2年後にモモが19歳で旅立ち、白黒コンビとなったズズとミンは猫の森の象徴的存在になっていく。
マンションのリフォームのために1週間の滞在をしたのはアビシニアンのディンブラ。
ご家族が迎えに来た途端、
「待ってたよ」とすり寄り、甘えた表情はやはり家族にしか見せないもの。
離れて家族の絆が深まる。
マンションの改修工事の10日間、自宅と事務所で4匹の猫を引き受けたこともある。結局10日間、4匹とも押し入れに入り込んで、出て来ようとはしなかったが、
「それでも動物病院に預けるよりはどれだけ安心かしれません」
とはご家族の言葉。
2006年、多摩の施設に入居したのは、モン、トン姉妹(当時9歳)。いっしょに暮らしていたご家族が長期入院のため、2匹を猫の森に託された。
「クレオパトラ」と呼ばれたモンと、人懐っこく愛らしいトンの2匹はマイペースの病気知らず。多摩の5年間を経て、2011年ミョウコウさんの猫となって、和歌山県「猫楠舎」へ移住。
もっぱらミョウコウさんのベッドがテリトリーの2匹。ミョウコウさんの見守り隊としても、なくてはならない存在だ。
Rさんから預かったナル(11歳・雄)は心臓病で、お腹の毛もほとんどない状態だった。
しかし、毎日「かわいい、かわいい」とチヤホヤされてか、お腹の毛も生え揃い、活発な猫に大変身したナルは、みんなに大モテだった。
ある日雑誌の取材に来た記者さんがナルに一目惚れし、あれよあれよという間にお婿入り。
ナルは自分の道を自ら切り開いた。変化を受け入れ、それを楽しみ、まわりの人に喜びと勇気を与えた猫である。
Nさんはトラバサミの罠にかかって左後ろ足を切断し、3本足になった猫ノラクロを保護した。
ただ、 Nさん宅にはデリケートな先住猫がいるため、猫の森に家猫になるトレーニング依頼をされた。
この仕事を引き受けてくれたのが、動物病院勤務経験があり、八王子でキャットシッターとして独立しているS。 人間不信で触れることさえできない状態から、ノラクロが徐々にS家になじんで行った過程は感動的である。特に小学生のH君がノラクロを可愛がる。
ある日、ちょっとした隙にノラクロがS宅から脱走。1週間後、なんとか無事に帰還すると、H君は「もうノラクロと離れない」と言い出し、Nさんから譲ってもらうことになった。
こうして、3本足のノラクロはH君の成長を見守って、天寿を全うしたのである。ここにも猫のドラマがある。
ご家族が亡くなり、まゆ(18歳・雌)は福岡から飛行機に乗って猫の森にやってきた。 腎臓病の後遺症で後ろ足が不自由ながら、体重5キロの立派な体格、見るからに太っ腹な雰囲気を持つ白猫まゆ。
来た当初、黄ばんでいた下半身は毎日のお手当とコーミングできれいになり、すぐに事務所の人気者になる。
直後にちび(16歳・雌)が加わると、なんとまゆの後脚が立つようになったから驚きだ。そして、私の本の担当さんがまゆを家族に迎えてくれ、堂々23歳で大往生した。
老猫の貰い手は少ないと思われがちだがそんなことはない。多少障害や病気があっても、老猫であろうと、猫たちは自力で新しい家族を見つけるものである。
長野県のHさんが猫の森多摩にやってきたのは2003年2月。
Hさんはその少し前に離婚し、6匹の猫を連れて実家に帰ったが、お母様が猫嫌いのため、猫たちは庭のプレハブ小屋に入れたとのこと。 しかし、猫たちの喧嘩が絶えず、その上お母様が猫の鳴き声でノイローゼ入院という事態になってしまう。 やむなく高齢6匹の里親探しを始めたがなかなか貰い手が見つからず、困り果てて猫の森にやって来たのだった。
「無理と諦めずに現時点でなにができるか考えましょう」
とホームページで里親探しを開始することにする。
結局、半年後6匹の猫はそれぞれ新しい家を見つけることができた。うち、3本足のハナちゃんのお話は『猫と暮らせば』 『猫、ただいま留守番中』に収録。
Hさんは10年以上にわたって、猫の森オリジナルグッズ「ネコ満足じゃ」と「チューボール」の製作を手伝ってくれている。感謝!